高森顕徹先生と親鸞会の50年
親鸞会結成以前「坊主にマコトとニセがある」(富山県)
川淵をたさん(富山・故人)
昭和20年代のころ
川淵をたさん(故人)の思い出を、家族の人に語って頂きました。
川渕「義母(をたさん)が初めて高森先生にお会いしたのは昭和20年代、先生が学生のころです。義母は40代やった。
近所に仏法熱心な同行が3人あって、その中心がうちのばあちゃん(をたさん)でした。
『まことの方がおられる』
と聞き、義母は二人の"弟子"を連れて、高森顕徹先生のご実家、大浦(富山県氷見市)のお寺へ出掛けたんです。
夏休みか何かで、帰省しておられたのでしょう。先生は、ちょうどご在宅でした。
『信心決定※されましたか』
と、義母がお尋ねしたら、先生は、
『はい』
と言われて、手に持っておられた物差しか何かで、ピシャンと畳をたたかれた。
(※信心決定-阿弥陀仏に救われること)
うちのばあちゃん、ビックリして、
『こんなボンチ(子どものこと)、信心決定しているはずがない。土蔵秘事(※浄土真宗の中でもまちがった信心の集まり)に決まっとる』
と、思ったんですね。お米を一升持って行ったけれど、お渡しせずに帰ってきた。土蔵秘事の兄嫁と、言い合いしていた時だったんです。私が川渕家へ嫁ぐ前の話です」
坊主にマコトとニセがある
川渕「お嫁に来て、2日目やったと思います。
家の前を、黒い衣着た坊さんが通った。そしたら、ばあちゃん、
『あの坊さん、偽者やったよー』
と言う。
義母は、伏木(高岡市)の寺を一軒一軒、しらみつぶしに回ったのです。でも、どの坊さんも、
『信心は、そんな難しいもんでない』
と答えた。全部、偽者やったと言うのです。
坊さんにマコトとニセがあるのか。義母の探している"まことの人"の話が聞きたい、この義母から離れてはならんぞとその時、私は心に誓ったのです。
義母は、
『まことの人がおられる』
と聞けば、福井までも泊まりがけで行きました。でも、落胆して帰ってくるのが常だったのです」
「親鸞聖人の生まれ変わりがおられるぞ!」
川渕「その後、義母は湯治に行った先で、福光(富山県西部の町)に若い布教使が説法に来ると聞き、朝一番のバスに乗って出掛けていきました。
『また、ちごうた人かもしれん。そしたら、帰らねばならん』
と思って、いちばん後ろに座ったそうです。
その時、布教に立たれた方が、高森先生やった。
『あちゃ、大浦の寺で会ったあのボンチや』
と思っていると、先生は、縦の線と横の線をかかれ、横の線の上に、安楽イスを幾つも描かれた。そして、
「まず世間にいま流布して旨と勧むるところの念仏と申すは、ただ何の分別もなく南無阿弥陀仏とばかり称うれば皆助かるべきように思えり、それはおおきに覚束なきことなり。」(御文章)
と、蓮如上人の御文章のお言葉を示されて、『ただ念仏称えてさえいればいいのだろう、と途中で座り込んでは駄目ですよ』
などと言われては、次から次と、安楽イスを壊されるではないですか。
「大悲の願船に乗じて、光明の広海に浮びぬれば、至徳の風しずかに、衆禍の波、転ず(『教行信証』)
「大悲の願船に乗って見る人生の苦海は、千波万波きらめく明るい広海ではないか。順風に帆をあげる航海のように、なんと生きるとは素晴らしいことなのか」
黒板の縦の線をさして、
「ここでハッキリする。人生の目的が完成する。往生一定の身になれる」と何度も叫ばれる。蓮如上人の聖人一流の章の『一念発起・入正定之聚とも釈し』とはこのことだ」
と教えて下された。
弥陀の救いをハッキリ説き切られる説法を半座聞いて、ビックリ。休憩時間に控室へ走った。そしたら、高森先生、待っておられたんやね。
ばあちゃんが思わず知らず、
『まことのお方やったですねえ』
と申し上げると、先生はニッコリされて、
『7年前にうちへ来てましたね』
と言われた。
ばあちゃんは、帰りのバス賃だけ取って、財布にあった残り全部、
『失礼やけど、ちり紙に包んで置いてきた』
と言うとりました。三百円くらい。月給四千円ほどの時代のことです。
帰ってくるなり、義母は農協から、有線放送を流しました。
『親鸞聖人の生まれ変わりがおられるぞー。三千世界(大宇宙)探しても、おられん方やぞー』
と。永年、探し求めていた善知識(正しい仏教の先生)にお会いできたのですから。どれほどうれしかったことか……」z
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