高森顕徹先生と親鸞会の50年
親鸞会結成以前(富山県 その4)
川淵をたさん(富山・故人)
人生の苦しみが仏縁に
川渕さんの法友の新さんはこう語る。
新「私は、をたさんから、高森先生のことを教えてもらいました。毎日、つらいもんで、仏法聞かずにおれんかったころです。
昔は男の子が生まれんだら、やかましかった。私が生まれた時、きょうだいは女ばかり三人もいたもんで、両親はがっかりして。女を止めんならんと、とみ、って名づけられたんです。生まれてしばらくは、私をかごに入れて隠したそうです。幾つまでか、外に出られなかった……。
生家は、広い田んぼを持つ農家で、馬の商売もやっていました。昔は荷馬車や、畑仕事をさせる馬とか、馬の仕事はたくさんあった。男の人を二人、食事の用意などする女の人も二人、雇っていたから、私はほうっておかれて。家事など教えられずに育ったから、嫁いだあと、苦労したんです。
つらくて、寺に嫁いだ2番目の姉の元へ行っては、説教を聞いていました。そのうち、農家の仕事もできんので、近くの十條製紙(当時)へ勤めに出された。それでも、早朝五時から説教を聞いたり、社員旅行の先でも抜け出しては寺へ行って。でも、娑婆の話ばかりで、本当の話はなかった。親戚の、をたさんに、
『まことの方、おられたかね、おられたかね』
って、いつも尋ねとったんです。それで、高森先生にお会いできた時、すぐに教えてくれたんやね。それからは、先生一筋に、お参りしとります。四十九の時でした」
「小矢部川を一人で埋めよ」
川渕「高森先生は当時から、伏木にお住まいでした。近くなので、自転車で来られては、たびたび座談会をしてくださった。
印象的に覚えているのは、
『小矢部の川を一人で埋めなさい』
と、言われた時の座談会です。
家の前の川が、小矢部川なので、そのように言われたのでしょう。参詣していた若い人が、
『そんなもん、どうして埋められることいね』
と言ったのです。
高森先生は、そのあと、
『赤尾の道宗という人は、蓮如上人に、
"近江の湖を一人で埋めよ"と、言われた時、"ハイ、かしこまりたる"
と、答えたんですよ』
と話されました。
そうしたら、その人、
『先生、もう一ぺん、言うてくだはれ』
って(笑)。高森先生は、
『一回しか、言わん』
と、おっしゃいました。高森先生は、縁をもつために私たちのところまでおりて、近づいてくださったのです」
障子戸を外し、土間に特注の床を置く
新「それから、川渕さんの家と、うちにも、高森顕徹先生をご招待するようになりました。昭和31年ごろだったか、障子戸を外して会場にしたのです。
初めて家に招待した土曜の夜、深松さん(故・深松顧問)を中心に、前田町の会館建立の話をしていました」
川渕「うちには、いつも2日間、泊まられました。金曜の晩に来られて、土日にご法話があった。
大勢の参詣者で、床の間から、台所の横の廊下、階段、黒板の下にまで座って。押し入れも布団を全部出して、そこへ入って、皆さん、聞かれたのです。
うちは店屋(当時はタバコ屋)だから、土間が広い。それで、義母が親戚の大工さんにお願いして、大きい床を作ってもらいました。何十人座っても壊れんような、組立式の床を。
ご法話の日には、土間にその床を置き、座敷と同じ高さにして、少しでも多くの人が聞けるようにしたんです。
十数年、招待されましたが、最後のころは座り切れんで、二月の寒い時期に、外で立って聞かれた人もあった。
うちは横幅が狭く、奥行きがある、箸箱みたいな造りになっています。
『いつも小さい家で申し訳ありません』
義母が言うと、先生は、
『こんな長い家が、説法しやすいんです』
と、言ってくださいました。
宿泊者もたくさんあって、一階と二階の六つの部屋それぞれに、敷き布団を敷いて、その上にこたつを置いて、足を突っ込んで、ごろ寝してもらっていました」
直筆の御名号
川渕「義母は、高森先生が言われたことなら何でも、実行に移しました。
「阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、更に余の方へ心をふらず、一心一向に、「仏助けたまえ」と申さん衆生をば、たとい罪業は深重なりとも、必ず弥陀如来は救いましますべし。」(蓮如上人・御文章)
『神棚は一向専念無量寿仏(阿弥陀仏一つに向かい、信じなさい)の親鸞聖人の教えに反する』
と聞けば、神棚を下ろし、
『真宗の正しい御本尊は御名号です』
と教えられれば、すぐに御名号をお迎えしたのです。
御名号は高森先生にお願いして、書いていただきました。ご下附くださった時、
『ずいぶんと、練習したぞー』
とおっしゃったと聞いています。
先生直筆の御名号をお掛けしたお仏壇で、ご法座を勤めさせていただいたのです」
御名号本尊について
「他流には「名号よりは絵像・絵像よりは木像」というなり。
当流には「木像よりは絵像・絵像よりは名号」というなり。」(蓮如上人)
念仏とは……
川渕「新さんの家でのご法座では、念仏について教えてくださいました。
大きな声で称える人がいたので、聞法の邪魔になると思ったのでしょう、休み時間に、
『ご説法の最中に、念仏称えないでください』
と言った人があったんです。
それを聞かれた高森先生は、
『"念仏を称えるな"などと言うものではありません。信仰が進んできたら、称えずにおれなくなってくるのです』
と、正してくださいました。こんなふうに、聞き誤りがあると、すぐさま教えてくださったのです」
一日も休んでおれない
川渕「高森先生にお会いしてから、義母はどこへでも、先生に同行させていただいていました。初めは、交通手段は汽車でした。
当時、一ヵ月に20日くらいは、ご説法をされていたと思います。滋賀などでは、一週間も続けられて。
汽車で滋賀に向かわれる途中、窓から田んぼで働く人たちを見られて、
『私は、人として聞かなければならんことを話しとるのに、あの人たちは、この世に働きに来たんだろうか。気の毒なことだ。それを思うと私は、一日とても、休んではおれない』
と、おっしゃったそうです」
「人身受け難し今すでに受く、仏法聞き難し今すでに聞く
この身今生に向かって度せずんば、更にいづれの生に向かってか、この身を度せん」
(釈尊)
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