高森顕徹先生と親鸞会の50年
親鸞会結成以前「本願と本願成就文をハッキリと」(富山県 その7)
北島そといさん(富山・故人)
信の一念、鮮やかなり
Mさん宅からすぐ近くの北島そといさん(故人)さん。
高森顕徹先生との出会いを、亡くなる直前に、語ってもらった。
私は、仏法熱心な祖父から、
「信心決定しなかったら、地獄に堕ちるんだよ」
と聞いて育ちました。『御文章』の「末代無智」や「五劫思惟」の章を、覚えさせられたものです。しかし、信心決定とはどんなことか、分かりませんでした。
仏法を聞くようになったのは、21の時です。妊娠して、患っていた肺が悪化したのがきっかけでした。
医者は、
「おなかの子を下ろせば、あなたの命は助かるかもしれん」
と言います。そこで、その病院で堕胎したのです。
看護婦が見せに来た7ヵ月の胎児は、もう人間の形をしていました。しかし、その時は、自分の体が楽になったことばかり喜んで、かわいそうだとは思いませんでした。
ところが退院後、実家へ寄った私に祖母が、
「おまえさん、恐ろしいことをやったのお。子供を一人、殺したのお」
と言うのです。元気になって喜んで帰ってきた自分が、鬼の姿に見えました。恐ろしくなって、ちょうど寺に行っていた祖父の元へ駆けつけ、
「人殺しをした者でも、阿弥陀さまは助けてくださるの」
と聞きました。祖父は一言、
「そうや」
とうなずいてくれました。
恐ろしい夢にもうなされるようになり、毎晩のように目が覚めました。しかし、それが去ると、ぐっすり寝入ってしまう自分も恐ろしい。
仏法を聞き求めるようになったのは、それからです。
明るい心に大変わり
よく寺へ通いましたが、どの布教使も、
「死んだら極楽。仏法聞いたら、ありがたく、けっこうな気持ちになるのです」
と言います。しかし、どれだけ聞いてもありがたくなく、念仏を一日中称えても、けっこうな気持ちになりません。
「他人より劣る悪人だから救われないのだ。死んだら地獄に違いない」と、泣く泣く帰る日が10年続きました。
30歳になった時です。再び妊娠し、急に体調が悪化したのです。21の時と同じ症状だったので、
「命を取る子が来た!」
と思いました。
すると、腹底から、
「命を取った者は、命を取られるのが当たり前や」
と聞こえたのです。
「今度こそ、治らない……」
体はどんどん悪くなり、医者も手を放しました。地獄行きの者が、どれだけ泣いても死んでいく。どうすることもできない。
ところが、
「極楽往きに間違いないぞ」
という弥陀の勅命が聞こえた一念で、大変わりしてしまったのです。
うれしかった、うれしかった、明るかった、明るかった。
阿弥陀さまのお約束、ホントだった、ホントだった。
この喜び、不可称不可説不可思議より、表しようがありません。とても、言葉になりません。言えるもんじゃないんです。天に踊り地に躍るとは、このことだったのか。
全く阿弥陀仏の独りばたらきでした。思いもよらぬ幸せに転じ変えられ、病気まで治ってしまったのです。
高森顕徹先生との出会い
2年後に、在所の寺で法話会がありました。日ごろから、
「至心信楽 欲生我国」(阿弥陀仏の本願の御文)
「乃至一念」
「即得往生 住不退転」(本願成就文の御文)
などの仏語の意味が知りたかった私は、
「一度、お尋ねしてみよう」
と思って参詣したのです。
すると、阿弥陀仏の本願と釈迦の願成就文(阿弥陀仏の本願を分かりやすく説かれたもの)の意味を一日中、ご説法くださるではありませんか。その方が、高森顕徹先生でした。
「横超」とは、すなわち願成就一実円満の真教・真宗これなり。(教行信証信巻)
それについて三経の安心あり。その中に『大経』をもって真実とせらる。『大経』の中には第十八の願をもって本とす。十八の願にとりてはまた願成就をもって至極とす。(改邪鈔)
親鸞聖人、覚如上人のお言葉を出して、本願成就文の教え以外に、浄土真宗の教義も安心もない、 仏教で最も大事な本願と、本願成就文をこんなにハッキリ教えてくだされる方は、ほかにはありませんでした。
何と尊いお話でしょう。言葉にならんことを、よう、言葉でこんなに丁寧に。正真正銘、まことの先生でした。
それから、高森先生を自宅にご招待して、兄弟や近隣の人に、聞法を勧めるようになりました。地元・津沢(小矢部市)を一軒一軒訪ね、玄関へ入っていない家がないほどくまなく、案内しました。
当時、ご法話を開いた家には、たくさんの人が泊まりました。布団や枕が足りるかどうか、高森顕徹先生は、常に親鸞聖人のお言葉をあげて、
「近くのMさんと、北島さんの家とに分けて、泊まってもらったらどうですか」
と、夜具の心配までしてくださいました。
先生は常に、
「後生の一大事の解決一つを目的として、人間に生まれたのです。その解決をしてくだされる仏は、阿弥陀如来以外にありません。弥陀の救いは、一念で定まるのです」
「一向専念の義は、往生の肝腑、自宗の骨目なり。」(御伝鈔)
(一向専念無量寿仏[阿弥陀仏一仏に向きなさい]の教えは、往生の肝腑、仏教の骨目である)とお叫びくださいます。
一心一向というは、阿弥陀仏に於て、二仏を并べざる意なり。この故に、人間に於ても、まず主をば一人ならではたのまぬ道理なり。されば外典の語に云わく、「忠臣は二君につかえず、貞女は二夫をならべず」といえり。阿弥陀如来は三世諸仏の為には本師・師匠なれば、その師匠の仏をたのまんには、いかでか弟子の諸仏のこれを喜びたまわざるべきや。(御文章)
私の里の人たちは仏法熱心で、すでに信心頂いていると思い込んでいたのですが、高森顕徹先生が一念の弥陀の救いの前後を鮮やかに説かれるので、間違った信心は皆、崩れてしまいました。
在家では狭くてできなくなるまで、6回ほどお越しくださったと思います。
◇ ◇
高森先生のお若いころからの、弥陀の本願一つを伝えられる苦労が、現在、正本堂となって現れていると思わずにおれません。
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