高森顕徹先生と親鸞会の50年

岐阜県編(昭和38年~53年)3

有志30人、手作りの会場

Gさん

当時、高森顕徹先生ご法話を公共施設で開催したGさん(60代男性)は、地元で有数の大会場を借り、新聞折込による宣伝で、初めての参詣者を多く誘った先駆者である。どんな苦労があったのだろうか。

 昭和46年ごろ、私は30代後半で、アパレルメーカーの営業をしていました。
 母が親鸞会の法話に参詣するのに送迎していたある日、「1ぺん聞いてみな」と言われ、初めて参詣したのです。Tさん宅で、浅倉保講師の説法でした。

 生きている時に助かるという「平生業成」のお話に、それまでの"死んだら極楽"という仏教観がぶち壊され、その場で親鸞会会員になりました。
 滋賀会館での高森顕徹先生ご法話にもよく参詣しました。当時は増築前で、そう広くはない本堂の3分の1くらいの参詣者でした。

「この会館に入り切れないぐらい参詣されるように、やがて必ずなる」
と言われるのをお聞きし、
「本当にそんなことがあるのだろうか」
と思ったものです。それが実際、滋賀でも岐阜でも現実になっていきました。

 地元の各務原市では、毎年4月に在家で説法されました。花まつりにちなんで、「釈迦の一代記」をよくお話しくださいました。

 私も近所なので、宣伝のため、ポスター張りを手伝いました。親鸞聖人の教えを知りたいという人々が詰めかけて、先生が使われる黒板の下まで座るほどでした。毎回、"もう限界"と言われながらの開催で、3年目でとうとう、最後になったのです。

 その後の各務原のご法話は、那加福祉センターで、金曜から3日間行われ、私が施主を勤めました。

 講演会を主催した経験がありませんから、会場探しから苦労の連続でした。高森顕徹先生のご都合と会場の空き状況を見て開催日を決めます。

 設営にしても、50年代半ばなら、親鸞会の係が全部取り仕切ってくれましたが、このころは地元親鸞会会員の有志30人ぐらいでするしかありません。レンタルショップなんかない時代。絨緞、扇風機、スピーカーなどは、滋賀会館から借りてきました。

 公共施設では、お仏壇も設置せねばなりません。借りてきた金屏風に正御本尊をお掛けしました。お仏花やお仏飯を載せる前卓は、親鸞会会員が持ち寄った長机を重ね、白布をかけて代用としました。

 先生の控室は、会場の一角に絨緞を敷き、屏風で囲んだだけのもので、申し訳ない限りでした。
 下足棚を作る余裕もなかったので、靴は床にずらーっと並べてありました。もちろん荷物棚もありません。
 チラシは2、3万枚折り込みました。それで新しい人が100人以上は来たと思います。初回の演題は、"五重の義"(蓮如上人の御文章2帖目11通)。宿善について特に詳しく教えていただきました。年1、2回の開催で、3年ぐらい続きました。

「これによりて五重の義を立てたり。一には宿善、二には善知識、三には光明、四には信心、五には名号、この五重の義成就せずは、往生は叶うべからずと見えたり」(五重の義・御文章)

「滋賀会館に続け」

 当時は、岐阜と滋賀の親鸞会会員は互いに交流し、一緒に活動していました。
"滋賀では、高森顕徹先生の説法されていた寺が、本山の横ヤリで一斉に本堂を貸さなくなった時、それならばと、自分の家で開催する家庭ご法話が始まった"
"滋賀の親鸞会会員は、自宅を新築して先生を招待した"
という話を聞き、すごいなぁ、仏法を尊ぶ心を見習わないといけないなあと思っていました。

 その滋賀には、昭和41年から会館がある。後に2階が改装され、高森顕徹先生の教学講義もありました。
「岐阜にも会館が欲しい」
という気持ちは、皆持っていましたが、当時、岐阜支部長だった菊池頼さんがいちばん強かったんじゃないでしょうか。そして副支部長のTさん。この2人が中心となり、会館建立の機運が高まっていったように思います。法話会場でも隣り合った人との会話の中に、そんな話が出ました。
 私も近所の親鸞会会員と顔を合わせるたびに、
「私たちの会館で、弥陀の本願のまこと、心ゆくまで聞かせていただきたい」
とか、
「そうだねぇ、経費はどれくらいかね」
と話していました。

 土地も何も決まっていない時期ですから、私たちは、遠い先のことと思っていたのです。しかし、谷本さんの思いは、そんな程度でなかったと、後で知らされました。

岐阜県編4・会館待望の声高まり。やがて大きな流れに

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