高森顕徹先生と親鸞会の50年

岐阜県編(昭和38年~53年)5

最高の仏法領・岐阜会館

T建設社員として、岐阜会館の工事に携わってきたHさんに、30年前の竣工から今日までの思い出を語ってもらった。

 Tさんは、私の"父親"であり、人生を真実に染めてくださった恩人です。
 高山市の高校を卒業した昭和44年、岐阜市内の建設会社に就職しました。そこの社長が、今は亡きTさんだったのです。私は会社の寮に入って、勤務するようになりました。
 社長と夫人のあやさんは、家族のように接してくださり、3歳で父を亡くしていた私にとって、特に社長は、父親代わりとなりました。
 しばらくしてT夫妻が、
「滋賀へ仏教のお話を聞きに出掛けるんだけど、一緒に行かないか。琵琶湖や彦根城も見せてやるぞ」
と、声をかけてくれました。

 誘われるままついていったのが、米原市梅ヶ原の滋賀会館です。ここは、昭和41年に、T建設が建てた浄土真宗親鸞会の会館でした。

 当時は、仏法を聞かねばならないという気持ちがなく、体は会場に座っていても、心はよそごとばかり。申し訳ない聞法でした。
 それでも休日になると、T夫妻は私をご法話に誘い、そのたびに小遣いをくれたり、食事をごちそうくださって、仏縁をはぐくんでいただいたのです。
 
 高森顕徹先生の岐阜でのご法話は当時、寺院の本堂を借りて行われていたのですが、次第に参詣者を収容し切れなくなり、困っていました。

 そこで、T夫妻は、3階建てにする予定だった自社ビルを4階建てにして、その4階に60畳の大広間を造り、法話会場および事務所として浄土真宗親鸞会に提供しました。このビルを建てる時、2人が、ほかの社員が仕事を終えたあとも、法話会場の何十枚もある天井板を1枚1枚、丁寧に磨いておられたのを、よく覚えています。

 寮は、このビルの3階に移されました。社長に、朝6時から1時間、しっかり掃除するよう言われました。また、
「お仏壇にお参りしてから、食事をしなさい」
とも言われました。そうやって、浄土真宗親鸞会会員の大切な心掛けを教えていただいたのです。

 4階の事務所には、講師が居住されるようになり、毎晩のように、仏法を聞く機会にも恵まれました。

 このビルでも、4年ほど、高森顕徹先生ご法話が勤められました。聞きたい人は増える一方で、ここも、とうとう入り切れなくなってしまいました。

1本の釘も大切に

 やがて、岐阜会館建立の話が持ち上がりました。その工事を、T建設が請け負うことになり、私もその一員として働きました。

 完成予想図は、私がかいたのですよ。聴聞バスはまだ走っていなかったのですが、そんな時代はすぐだろうと思い、バスもかき込みました。すると、ちょうどその年の秋から、聴聞バスが運行されるようになりました。

 T社長は事業半ばでガンに倒れられましたが、病床で弥陀の救いにあわれ、「往生ハッキリ」「往生スッキリ」「往生ハッキリ、スッキリ」と無限の喜びを叫び続けられました。会館建立の悲願は社員にも受け継がれ、日の短い冬場も総動員で、建設作業に明け暮れました。
 そして、昭和53年早春、落成を迎えることができたのです。雪の降り積もる2月初旬に、落慶式典が行われました。

 高森顕徹先生はこの時、『御一代記聞書』にあるエピソードを教えてくださいました。

「蓮如上人御廊下を御通り候て、紙切の落ちて候いつるを御覧ぜられ、『仏法領の物をあだにするかや』と仰せられ、両の御手にて御頂き候と云々』

 ある時、蓮如上人が廊下を歩いておられたところ、紙切れが1枚落ちていた。それを、
「仏法領のものをあだにするかや」
とおっしゃって拾われ、両手で押し頂かれたという話です。
「仏法領とは、一切は、私たちが仏法を聞き、求めるために存在するということ。だから、一切のものを仏法領と受け取り、大切に生かさねばならない。

 中でも、この岐阜会館は、私たちが後生の一大事を解決して、絶対の幸福の身になるために建てられた最高の仏法領である。その会館で、仏法を求め、私1人を助けるために建てられた会館であったなあと喜べるまで、求めなければならない」
と教えてくださいました。

 そういえば、T社長は、工事現場に落ちている40センチ以上のひもや、木の切れ端、釘なども拾って歩き、大切に再利用されました。"すべては仏法領"という気持ちだったのだと思います。

 

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