前田町会館(親鸞会初の会館)時代5
一人一人に仏縁を
K「しばらくして、ご法話会場へ、義母が薄茶色の皮のカバンに入った拡声器を、運んでいく係りになりました。
高森顕徹先生も大きなカバンを二つほど持っておられましたが、ただ重いから任せられたのではない。うちの店が忙しいので、役目を与えて、
『私が拡声器、持っていかなかったら、ご法座できんから』
と、言い訳して参詣しやすくしてくださったのです。
高森先生は間もなく、キャビンという小豆色の車を購入されました。それからは、義母を乗せて、会場まで連れて行ってくださった。
だから、拡声器を担ぐといっても、近くのバス停まで。そこでお車に乗せていただいていましたから、背負って歩くのは、ほんのわずか。一人一人の仏縁を念じられ、ご配慮くださったのです」
阿弥陀仏は見てござる
K「滋賀のご法話の日だったと思います。義母は、
『しかられた』
と、しょんぼり帰ってきました。
『今度のご報謝は、私一人でさせていただいた』
と申し上げたら、先生は、
『分かっとる!』
としかられたと言うんです。
翌日に、高森先生から、お葉書が届きました。
『先生、こんな恐ろしいの、下された』
と、私に見せてくれたのです。
『合掌
阿弥陀仏は
見てござる
聞いてござる
知ってござる
慎みましょう』
どんなにご帰宅が遅くなった夜でも、その日のうちにお葉書を書いてくだされたのです」
何万億回生まれ変わっても
K「ご説法の最中、
『Kさん、私の葉書、何枚ほど来とるかね』
と、義母に尋ねられたことがありました。
ばあちゃん、数えていたんですね、
『450枚です』
とお答えすると、
『ふーん、450枚?1000枚ほど出したと、思うとった。そんな少なかった?』
と、おっしゃいました。
その後も頂いたので、先生からのお葉書は、500枚を超えています。ちょっとしたものを差し上げた時でも、高森先生はいつも、真実いっぱいのお葉書を下さいました」
合掌
仏智満入の今でさえ噴焔怒涛の悪魔、
信楽開発の今でさえ我慢我執の盲者、
正定聚不退の今でさえ放逸無慚の曲者です。
どこどこまでも地獄一定すみかの悪機が生かされているのが不思議。
珍らしいクリ美味しく頂きました。
合掌
地位や名誉や学問や財産は咲き乱れている時は、随分見事だけれども出て行く先は魂一つです。何一つ力になるものはありません。
今年一番おいしい瓜を頂きました。
合掌
一宿一飯の仮りの宿を転々として人生も同じであることをつくづく味わさせて頂く旅でした。何処へ行っても娑婆に変りはありませんが、変り果てた我心に驚かずにおれませんでした。
見事なイチゴ有難うございました。
K「先生は、激しいご布教のために過労で、6月ごろと11月ごろ、毎年のように、倒れられました。病床に伏せられた時まで、葉書を下さったのです」
合掌
あの日は布教に立てる状態でなかったことは、僕が最も知っていました。
ただ常行大悲の御恩に泣かされて叫びました。
4日4バン高熱に苦しみ続けましたが、心は使命果たした満足感でなぐさめられていました。有難う。
合掌
無量無限の仏恩に報い切れず感泣しながら叫びつづけて来ましたが、悲しきかな肉体には限度があり、皆さんに大変御心配をかけ済みませんでした。しかし信念は一歩も退かず、全快したら、今まで以上にやりぬく覚悟ですから、御安心下さい。
合掌
いろいろと心配やら気を配って頂き有難さに、ふるいたたずにおれませんが、肉体が思うようになりません。限りある肉体に限りなき御恩を受けた不思議さ、何万億回生れ変っても、この妙法を十方衆生にとどけなければなりません。
合掌
報い切れない仏恩に感泣しながら、今はひたすら肉体の回復に全力あげています。倒れても倒れても、叫んでも叫んでも、底の知れない弥陀の念力に生かされている我身を思う時、ジッとしておれない切ない気持一杯です。
合掌
布教と著作で体力の消耗甚だしく、ノドはただれて声は出ず、余り書いたので左目が充血してあけておれなく、今日までねたきりの勿体ない生活にざんげしています。心ばかりが叫んでいますが申し訳けありません。
合掌
称うれど
称えておらず
称えつつ
全身打撲のようないたみに困りましたが、漸く小康を頂き喜こんでいます。
合掌
報い切れない仏恩の深重に泣きながらも、出来るだけはやったのだという満足感のみが慰めです。
一日も早く布教戦線に立てるよう、全力をあげます。
みなさんによろしくよろしく。
K「1枚1枚、どんなお気持ちで書いてくだされたのか……。
『あわれあわれ存命の中に、皆々信心決定あれかしと朝夕思いはんべり』の蓮如上人のご遺言どおり、後生の一大事、早く解決してくれよ、弥陀の救いにあってくれよ、信心決定してくれよとのお叫びが、聞こえてくるようです」

