前田町会館(親鸞会初の会館)時代6

すべては、南無阿弥陀仏の躍動

智慧と慈悲の南無阿弥陀仏を体得すれば、智慧あるがゆえに生死にとどまらず、獅子のように怖畏なく、真実開顕に突き進む。慈悲あるがゆえに涅槃に住せず、大象の進むがごとく、煩悩の林を救済する。厳しく、時に優しく―――。永年、高森先生にご同行したKさん(故人)とSさんは、名号宝珠の躍動を間近に拝してきた。

S「55歳で十條製紙(当時)を定年退職したあと、をたさんと一緒に私も、高森先生のお車で、ご法話会場へ連れて行っていただくようになりました。
  先生は通りがかりに、田んぼしている人を見られて、よくおっしゃいました。
『みんな娑婆のことに一生懸命だ。どうしたら親鸞聖人のご苦労、分かってもらえるだろうか』
と……。石川県の津幡町を通った時も、そうでした。高森先生がそのように言われた所から、じきに仏縁深い方が現れるので、不思議やなあと思うとったんです」

K「キャビンのあと、先生はダットサンという500㏄の車を購入されました。
  今の軽自動車でも、660㏄ですから、それより小さい。しかも今日の自動車と違って、車体は分厚くて重かった。
  高速道路のない時代、富山から滋賀までも、そのような車で、ご布教に赴かれたのです」

S「その紺色のダットサンに乗せていただいて、あちこち参詣させてもらいました。
  クーラーはなかったころで、車の窓は全部開けっ放し。道が舗装されていなかったので、前の車で砂ぼこりがもうもうと立ってね。大変でした。
  滋賀に向かう途中、富山県と石川県の間に、倶利伽羅峠いう峠がある。でも車が小さいもんで、登り切らん。
  Kさんと二人で、車の後ろを押して、ようやく峠を越えた。そんなことが何べんもありました

滋賀まで7、8時間、布教でお疲れなのに、ずっと一人で運転されて。先生は、水でぬらしたタオルを首に巻かれていたのですが、滋賀に着いたら、そのタオルが乾いたヘチマみたいに、カラカラになっとりました。

車が故障した時、すぐに飛び降りて、直してくださった。
『話を聞きたいと待っている人がいるんだ。早く直して行かなければ』
とのお気持ちだったのでしょう。

雨の夜、パンクした時も、先生が一人でタイヤを交換された。をたさんと私は、車に乗ったまま。ジャッキで上げられて。ホントに申し訳のないことでした。
  遅れそうになると、それがたとえ一分でも、当時あまりなかった電話を探されて、連絡された。どんな小さな約束事でも、几帳面に守っておられましたね」

ご説法の"アシスタント"

K「説法中に、先生はたびたび、義母を指名されたんですよ。
  滋賀会館でのご法話で、善導大師の、
『不得外現、賢善精進之相、内懐虚仮』
のご文を説明するよう、おっしゃったこともあります。
  善導大師は、
『外に賢善精進の相を現じて、内に虚仮を懐くことを得ざれ』
"外面は賢善精進の立派な相をしておっても、内心にうそ偽りの醜い心を持っていてはなりませんよ"
と、外と内が違うのを戒められた。
  それを親鸞聖人は、
『外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐けばなり』
"どうせみんな内心は、うそ偽りばかりしか懐いてはいないのだから、賢そうな善人らしい精進の見せ掛けなんかするな"
と、意味を逆転しておられます。

その違い目を、
『あんたが分かったら、みんな分かる』
とおっしゃって、3回もばあちゃんに言わせられたんです。
  地元の会合で講師が私に、
『Kさんのおばあちゃん、壇上でこのご文を説明しはった。ふささんもお嫁さんだから、話してみなさい』
と、説明するように言われたので、ハッキリ覚えています。

その後、知り合いのおじいさんが義母に、
『あんた、壇上で説明させられて。おら、あんなこと言われたら、2度と参りに行かんわ』
と言いました。そのじいちゃんは、獲信したつもりだったのです。すると、うちのばあちゃん、
『そんなこと言うのは、信心決定しとらんからやろ。"次から参りに行かん"と言うようなもん、どこが救われとる』
と、面と向かって言っていました。

『そんなコンニャク安心(異安心)、早く捨てなければ駄目や』
と言っていたのです」

「もっと大事なことがある」

K「新湊(富山県)の福祉会館でのご法話でした。
  高森先生が、車を買い替えられた時ですね。ある親鸞会の会員さんが、『新しいお車だから、盗まれては大変』と思ったのか、番をしていた。
  壇上に立たれた時、窓からごらんになったのでしょう、高森先生は随行の人に、
『あの自動車の所に立っている人を、呼んできなさい』
とおっしゃったのです。
『車など見とらんでもいい。もっと大事なことがあるのです。早く聞きなさい』
という御心と拝さずにおれません」

後生の一大事に驚け

K「そのような慈悲深いお姿の一方で、大変厳しい面もお持ちでした。芳野の会館(旧高岡会館)で、非常におしかりになったことがあったそうです。

地獄の掛け軸を示されて、
『一晩中、見てなさい』
と言われ、義母は絵の前でずっと正座していたと聞きました。
  その後も、だれかがいいかげんな聞法をしていると、ご説法中に、
『立っとれ』
『出て行け』
とおっしゃったり、名指しで、
『顔、洗うてこい』
と言われたことも、何度もありました。

『これほどの一大事、なぜ分からんのか』と、先生はどれほど悲しんでおられることか。
  二塚(高岡市)でご法話があった時に、どこからかアブが1匹、飛んで来た。皆、恐ろしがって、キャーキャー言って、やかましかった。

先生は、
『後生の一大事は苦にならんのに、アブくらいに恐ろしがっとる』
と言われました。

「後生という事は、ながき世まで地獄におつることなれば、いかにもいそぎ後生の一大事を思いとりて、弥陀の本願をたのみ、他力の信心を決定すべし」(帖外御文)

「誰の人も、早く後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのめ」(白骨の御文章)

今も同じお気持ちと思います。黒板をバンバンたたかれるのは、居眠りしている人を見られて、
『後生の一大事、真剣に聞けよ』
という御心に違いありません」

店を休んで聞け

K「やはり、新湊の福祉会館でのことです。
  高森先生が、最前列に座っていた私の前まで来られて、
『仏法のある時は、店を休んで聞くもんだよ』
と、言われたことがありました。壇上との段差があまりなかったから、ほんとに目の前でおっしゃいました。

  蓮如上人の、
『仏法には世間の隙(仕事)を闕きて聞くべし』
というお言葉を説明された時だったと思います。
店番で忙しい忙しいと、仕事ばかりしていたから……。
当時は、現在のクリーニングの仕事もしていましたが、たばこ販売がいちばん忙しかった。また、パンやお菓子なども売る、よろず屋だったのです。

その時分のたばこ業は、国の専売公社で、休めません。朝6時から夜の9時40分まで毎日、土日もなく、店の番をせねばならなかった。

だから聞法できたのは、だれか代わりに店番をしてもらえた時だけ。自宅でご法話を勤めた日さえ、店を開けていなければなりませんでした。お客も遠慮してか、あまり来ませんでしたが、それでも来れば、対応せねばなりません。
『このままだったら、私は地獄行きに決まっとる』
という心が離れませんでした。

〝よろず屋〟の仕事に追われているうちに、後生に飛び込んでしまうと……。でも嫁の立場で、わがままも言えません。
  たばこ業が民間に移ったのを機に、思い切って主人に相談しました。そして、クリーニング業以外の商売をピタッとやめさせてもらった。そしたら、夜の会合にも出られるし、日曜も毎回、参詣させていただけるし、仏縁を求められるようになったのです。

その間、どれだけ先生にご心配をおかけしたかと思うと、申し訳ない限りです。

無常が先か、獲信が先か、義母を見習って、一座一座、心して聞かせていただかねばならんと思っています」

S「20年ほど、高森先生のお車に同乗させていただきました。本当に長いこと、お世話になった……。
  永年、ご同行させていただいて知らされるのは、阿弥陀さまの御心をこんなに分かりやすく教えてくださる高森先生のような方はどこを訪ねてもお会いできない、ということです。
『少しでも若い時に聞かねばなりません』
と、繰り返しご教導いただいたのが身にしみます。罪と年を重ねただけでは申し訳ない。寝込んでしまったら聞法できなくなってしまうので、体を大切に、聴聞し、この南無阿弥陀仏の大法を一人でも多くの方にお届けしたい、これ一つです」

前田町会館の思い出7・親鸞会は大きくなるぞ

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