前田町会館(親鸞会初の会館)時代
夢の図面が現実に
泉弘行親友部長
前田町の会館にいた時のことで、強烈に焼きついている思い出があります。
高森顕徹先生は会館に来られるとその時々、縁のある人を控室に集められて、仏法の話をしてくださいました。
5、6人、集まっていた時、
突然、私に、
「わら半紙を持ってきなさい」
と言われました。
早速、お持ちすると、
「今から、本部会館の図面をかく」
とおっしゃいます。そして、
「横50メーター、奥行き100メーター」
とおっしゃって、線を引かれました。
あまりにも、とてつもない数字なので、
「そんな夢みたいなこと……」
と思ったものです。
しかし、この数字は、今日の親鸞会館2000畳の大講堂そのもの、現実となっています。
先生は時々、私たちにとっては、突拍子もないことをおっしゃいますが、みな実現しています。
昭和50年、先生自ら、企画なされ、
「広島、島根など、いまだ真実が広まっていない県に、親鸞聖人の教えを伝えよ」
と、言われた時も驚きました。
「滋賀県だけでも、まだまだ知らない方がたくさんいる。
遠征したら、それだけ経費もかかって大変だ」
と、ついソロバン勘定をしてしまう私たちにはできない発想です。これが機縁となって、全国に親鸞聖人のみ教えが浸透し、親鸞会の支部が誕生していったのです。
海外布教も、ブラジルに行っていた竹島勲さん(富山親鸞学徒)からの一通の手紙で、高森先生が決断なされ、すぐに中村講師長を派遣されました。今では、海外各地に真実が広まっています。
「他力の信をえん人は
仏恩報ぜんためにとて
如来二種の廻向を
十方にひとしくひろむべし」(親鸞聖人)
このお言葉のままを、実践されています。
だから親鸞会の歴史は、飛躍の連続でした。
先日も、しみじみ、
「前田町の会館の4倍が、芳野の親鸞会館。芳野の会館の4倍が、小杉の親鸞会館。4倍、4倍と発展してきた」
と述懐なさっていました。
ひとえに如来聖人のご念力と高森先生のご教導のたまものです。私たちは計らいを入れずに、親鸞聖人のお言葉どおり、進んでいけばいいのです。
これからも一人でも多くの方に、親鸞聖人の教えを聞き抜いて、幸せになっていただきたいと思います。

