私と50周年 1

■ 浄土真宗親鸞会結成50周年

蓮如上人の遺産

親鸞会館・正本堂

「親鸞会は蓮如上人の遺産だと思います」。米国の 、蓮如上人研究の第一人者マイナー・リー・ロジャース教授 (ワシントン・アンド・リー大学)はそう語った。

氏と親鸞会との出遇いは平成元年。来日中のロジャース夫妻が 、蓮如上人に関する論文を執筆中と、『中外日報』紙上で知った岡崎美恵子講師は、早速、京都の滞在先まで夫妻を訪ねた。

「蓮如上人は、親鸞聖人のみ教えを手垢をつけず、一器の水を一器 に移すがごとく、正しく忠実に広められました。ある人が、 『どうして親鸞聖人はこのようにされたのでしょうか』と尋ねた時 、蓮如上人は、『私も知らない。何事も親鸞聖人のおっしゃるとおりにするのがよい』と答えられています。亡くなられる直前に書かれた御文章には 、

『あわれあわれ、存命の中に皆々信心決定あれかしと朝夕思いはんべり』。
(あわれだなぁ、かわいそうだなぁ、命あるうちに、すべての人に信心決定してもらいたい。四六時中、この蓮如は思い続けています)

蓮如上人のご生涯は、この御心で貫かれています 。この祈りにも似た真意が分からねば、蓮如上人は分かりません」

正午から六時間、『御文章』などの根拠を挙げての熱烈な話に 、ロジャース教授は「ウーン」とうなずいたまま沈黙 。ひと呼吸おくと、メガネの奥からやわらかな眼光を投げかけ、 「五百ぺージに及ぶ私の論文は要らなくなりましたね 。きっとこれが結論です。ありがとう」と語った。

釈尊から一貫した教え

平成三年、ロジャース教授は、ライフワークの『RENNYO』 (蓮如)を出版。岡崎講師との対談で、本会に強い関心を示した教 授は、論文の最後にこう記している。

「親鸞会会員は、釈迦牟尼から七高僧を経て、親鸞聖人および覚如 、蓮如上人へと続いた正法の正統な継承者(善知識 )として高森氏を仰ぎ、世襲による本願寺門主らの権威は認めてい ない。高森氏の指導のもと、大変精力的に、かつ根気強く親鸞聖人の真実の教えに戻るようにと本願寺に要求しているのだが 、驚くべきことに、親鸞聖人回帰主義を執っているこの会が 、蓮如上人をおろそかにしたり、避けたりするようなところが見られないのだ。それどころか、上人が徹頭徹尾、祖師親鸞の教えを継 承させていると断言している」(要約)

高森先生は、この論文の内容を、大いに称賛された。

「著者はまさに学者だ。親鸞会を正確に把握し、本会が、釈尊 、七高僧、親鸞・覚如・蓮如上人に一貫した教えを説いていること を見抜いている。また『親鸞聖人に帰れ』と主張する点では急先鋒の本会が、蓮如上人を親鸞聖人と同じく善知識と尊敬していること に驚嘆している。『このような団体があったのか』と 。それは世に親鸞聖人回帰主義の団体は多いが、回帰主義者のすべ ては蓮如上人を否定しているからである。それだけにロジャース氏 は本会に強い関心を持って観ている。まさに学者である 。我々の活動を正確に観ている人が米国にも存在するのだ」

後生を説かぬ真宗の衰退

「親鸞会がなかったら、後生の一大事を真剣に説く人は 、今の真宗に、だれもいなくなったでしょう」

東本願寺元住職・K師は慨嘆する。
昨年、ある寺の招待で、報恩講を勤めた際、K師は参詣者に次の質 問をした。
「今から後生について五つのことを言いますから、日ごろ信じてい ることを、目をつぶって手を挙げてください」

①死んだら虚空に消えてすべてなくなる。
②死んだら霊魂となり、墓中でずっと眠っている。
③死ねば極楽へ往って仏に生まれる。
④死ねばだれでも必ず地獄へ堕ちる。
⑤実験できぬ死後は考えず、生かされている今の命に感謝して、 「今、今」と生きる。

すると結果は、満堂の参詣者全員が最後の⑤であった。「あー 、やっぱり。これが東本願寺の現状なのだ……」。K師は肩を落 とした。

昭和44年、俗に「お東騒動」といわれる紛争で、改革派を名乗る 者たちが東本願寺を実質支配。そして明治初頭の学者 、清沢満之を祖とした近代教学を主流化していった。
死後を不問とし、西洋哲学を混入した近代教学は、真宗界を大きく 混乱させていく。

昭和54年、東本願寺は蓮如上人の書かれた、凡夫往生の手鏡とい われる『御文章』を、宗憲(最高法規)のお聖教の項目から外すこ とを決定した。「後生の一大事」と繰り返し書かれた『御文章』は 、死後を説かぬ〝近代教学〟には不都合だったのだ。
父の影響で、その〝近代教学〟の薫陶を受けていたK師ではあった が、長男(現講師部)を通して親鸞会と巡り遇い、自らの誤りを知 らされる。K師は、こう述懐する。

「父は東本願寺改革派の旗振り役で、うちの寺へは金子大栄や曽我 量深など、有名な近代教学の学者らがよく来ました 。私も彼らを師と思い、その教えを徹底してたたき込まれた 。だから最初、息子から親鸞会のことを聞いた時は 、跡取り息子を取られたように思い、これは大変だ 、何かおかしなことを話したら、とっちめてやるぐらいの気持ちで 滋賀会館へ乗り込んだのです。
ところが高森先生のお話は、釈尊はこうおっしゃっている 、親鸞聖人はこう、蓮如上人はそのことをこう言われていると 、一つ一つお言葉を挙げて話をされるから、グウの音も出んかった 。そういう人は本山にはいなかった。一つのことを善知識方のお言 葉を並べて説けるということは、すごいことなんです 。相当深い教学がなければできん。高森先生という方は 、何とよく勉強されている方かと感服してしまったのです」

さらにK師の父が臨終に、「今まで学んできた教学が一切 、力にならん。どうしてくれるんや」と信仰が動乱、K師の長男 (親鸞会講師)の後生の一大事の説法に感涙し、「そうや 、仏法はそう説かんならん」と、親鸞会の説法こそ聖人の真意を伝 えるもの、と言い残して逝った。

以来、二十四年間、K師は近代教学の過ちを痛み、正しい浄土真宗のみ教えに立ち返るよう奮闘を続けている。ある時は、『中外日報 』紙上で、「死後を説かねば仏法ではない」と論陣を張り 、門首や宗務総長らへも手紙で、後生の一大事を説くよう訴え続けた。

しかし、真実開顕を遂行するほど本山の圧力は強まり、平成十五年 、住み慣れた寺を離れることになる。「真実を説けば寺を追われる時代なのです」。K師は悔しさをにじませる。
賛同する人が、陰で招待することがあれば、どこへでも出掛け 、後生の一大事を懇々と説く。平成二十年三月、岐阜県内のある寺 でK師の法話が開かれた。

「『まことに死せんときは、予てたのみおきつる妻子も財宝も 、わが身には一つも相添うことあるべからず。されば死出の山路の すえ・三塗の大河をば、唯一人こそ行きなんずれ』。

皆さん 、ちゃんと『御文』さまにこう出ている。いよいよ死んでいく時は 、何一つ頼りにならん。すべてに見放されて丸裸で一人 、あの世へ出て行くんや。釈尊は『大無量寿経』に 『寿終りて後の世に尤も深く尤も劇し。その幽冥に入る 』とちゃんと説かれとる」
K師の大音声の説法が、本堂に響きわたる。参詣者は 、今まで聞かされてこなかった後生の一大事の説法に 、驚きながら耳を傾けていた。

「自分の考えを混ぜてはならない。それを学者たちが自分らの考え を混ぜ、教えを切り刻んでしまったから、浄土真宗がこんな状態に なってしまったのです」
 K師は東本願寺の内側で、心ある同行を求め、黙々と後生の一大 事を説き続けている。

「本山に、目を覚ましてもらいたい。そしてご門徒には 、高森先生から本当の親鸞聖人のみ教えを聞いてほしい 。それを果たすことが寺に生まれ育った私にとっての『50周年』なのです」

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