私と50周年 2
■ 浄土真宗親鸞会結成50周年
仏法は聴聞に極まる
大雪の日も火事の跡でも
滋賀県 Tさん
代々、仏法を大切に聞いている家に、私は生まれました。
若いころから、いろんな人の説教を聞きましたが、十劫安心(※十劫の昔にすでに我々は助かってしまっているのだから、今さら求めることも聞き歩くこともいらぬと言う人達のこと)やら称名正因(※念仏さえ称えていれば助かる、と信じている人達)やら、異安心だらけでね。感謝の心で念仏称えていたら、死んだら 極楽へ連れていってもらえるという話ばかり。
自分の罪悪を見たら、ほんまにこれで極楽往けるんか、とやっぱり疑いが出てくる。『御文章』には、
「疑う心、露塵ほども持つまじきことなり」
と書いてありますやろ。
善知識を探していた32歳のころです。一緒に寺参りしていた友達が、
「今度、多賀(滋賀県多賀町)のお寺に、すごいお話をされる方が来られるから、お参りに行こまいけ」
と誘うので、10人余りで参詣したのが、高森顕徹先生との出会いでした。
朝のうちから行って、
「先生、何時においでますの」と寺の人に聞いたら、
「お昼前には来てくださると思います」という話でした。
「どんな先生やろか」
とお迎えに出てますと、学生さんが、白いズック靴を履いて、頭に角帽をかぶって、スーッと通っていかれました。もちろん、その方が高森先生だなんて分かりません。どこの学生さんやろなぁ、くらいに思っていました。そしたら、
「皆さんもう、中へ入っておくれやす。先生はもう着かはりましたさかい」
と言われますんで、
「あれ、いつの間に通られたんやろ?」
と、キツネにつままれたようでした。
慌てて本堂に入ると、お昼ご飯を召し上がったのかどうか、すぐに出てこられ、
「今まで仏法をどういうふうに聞いてこられましたか」
と、参詣者に声をかけられるのです。何て熱心な先生やなぁと思いました。
1時半だったか2時だったか、いよいよご説法に出てこられると、先生には、ほんまに申し訳ないけど、“こんなかわいらしい学生さんが、説法できるんかしら”と内心、思ったのです。
当時、布教使といえば皆、30代半ば以上なのに、先生は、御年23かそこらなんですから。ところが、です。
「あわれあわれ、存命の中に皆々信心決定あれかしと朝夕思いはんべり、まことに宿善まかせとはいいながら、述懐のこころ暫くも止むことなし」(蓮如上人の御遺言)
と、讃題をお聞きするや、何とも言えない尊いものが、私の胸に伝わってきました。
「用事のある人は、自由にしてください」
と言われ、6時までぶっ通しの大獅子吼です。
「名号・信心・念仏」の浄土真宗の三本柱をスカーッと、説いてくださり、
「この方こそ、まことの仏法の先生だ」
といっぺんに思いました。それから友達と、〝これから毎月、来ていただこうか〟という話になったのです。
法話会場は戦場
高森先生のご法話は大盛況で、どんどん増える参詣者に、お疲れも忘れてのご化導でした。朝食の時間から、先生の部屋へ詰めかける人もあり、お食事はいつも、話をしながら済まされるのです。
昼のご法話が終わって、帰ろうとする人があると、玄関に出られ、
「後生が何ともならんと、帰ろうとされるんですか。よう帰れるなあ」
とおっしゃいました。
朝昼晩のご説法、その後すぐ座談会と続き、気がつくと夜が白々と明けて、
「いけない、先生に休んでいただかねば」
と思ったこともたびたびです。
「毎日続く説法で、のどは真っ赤、声はかれ、血が出た」
とお聞きしたこともあります。
ある時、こんなことがありました。
「こ のごろの寺には、仏法がない。少しも真実の教えが説かれていない。たばこ屋で、たばこを売っていないのと同じである。浄土真宗といいながら、『信心正因、 称名報恩』(※信心正因……信心一つで助かるということ、称名報恩……称える念仏は弥陀に救われたお礼ということ)の親鸞聖人の教えを踏みにじり、 『念仏さえ称えておれば、死んだら極楽』と言って、人々を迷わせている。
十劫安心を教えたり、葬式屋になったりして、浄土真宗をねじ曲げている者ばかり。親鸞聖人の教えはどうなっているのか。みんなだまされている」
ご説法の中で厳しくおっしゃったのです。
控室にお戻りになるや、参詣者の1人が飛んでいって、申し上げました。
「お寺に世話になっておりますので、どうか、寺の悪口を言わないでください」
すると先生は、
「仏法を正しくお伝えするのは、私の使命です。聖人の正しい教えをお伝えして、寺が借りられなくなってもかまわない。私は辻説法でもする。縁のある人は聞いてくだされるでしょう」
と言われました。
寺から家庭法話へ
先生のご説法があんまりすごいので、「参らんか」と言うて歩かんでも、寺はいつも報恩講か遠忌法要のように、内陣までいっぱいでした。
それでネタミが出たんでしょう。寺が会場を貸さなくなったのです。それでも、私たちは聞かせていただきたいので、自分たちの家に先生を招待いたしました。
寺と違って狭いので、仏間からあふれた人は、玄関の土間や、晴れた日なら、庭で聴聞してもらいました。そのままでは、黒板が見えませんので、畳と同じ高さになるよう、地面に枠組みを立てて、その上に板を渡して、座布団を置いたのです。
箕浦の大雪
箕浦(現・米原市)という村で、ご法座が予定されていた冬のある日、朝からものすごい大雪で、一面真っ白になりました。電信柱で、道と田んぼの境が何とか分かるほどでした。それで、“とても、ご無理だろう”と思っていたのに、先生は来てくださったのです。
「今日は、いらっしゃらないと思っておりました」
と正直に申し上げると、
「無常だからなあ。みんなの後生を思ったら、じっとしとれん。うちにはおれぬ」
と言われるのです。
「『火の中を分けても
法は聞くべきに
雨風雪はもののかずかは』
と蓮如上人もおっしゃっているではないか。取り返しのつかぬ一大事を何と思うか。一日も片時も急がなければならない」
とも、おっしゃいました。
常に、親鸞聖人、蓮如上人の仰るとおり、寸分のちがいもなく説かれる高森先生なのです。
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