私と50周年 8
■ 浄土真宗親鸞会結成50周年
企業戦士が一転
目覚めた団塊の光
福岡県 山田義男さん(仮名)(60)
大量退職時代に問いかけたい
趣味と遊びでおしまいか!?
昭和22年、兵庫県に生まれる。思想などには無関心の“体育会系”で、関西学院大学時代は4年間の大半を山登りに費やした。卒業した昭和45年、そのバイタリティーを見込まれ、ダイエーに入社。徹底した安売り商法で流通革命を目指す、野武士のような社員がゴロゴロしていた。
当時ダイエーは毎年100店舗拡張が目標で、店長クラスの養成が急務とされた。山田さんはそのモデルとして、入社半年で主任、翌年にはスーパーバイザーとして8店舗の指導に当たった。
「毎日がすごいスピードで動いていました。新店舗が次々オープンし、中内社長直々に視察に来ますから、準備が遅れたでは済まされない。開店前はいつも徹夜でした」
残業月100時間超、有給どころか公休も取らず、昼も夜もない生活と責任の重圧で、昭和47年、十二指腸潰瘍で入院。胃の3分の2を切除した。
「病院のベッドでも『会社に行かないと遅れる、取り残される』と言ったので、見舞いに来た兄が驚いたそうです」
ダイエーが東証一部に上場され、三越を抜き小売業売上高日本一を達成したころである。破竹の快進撃に、仕事が楽しくて仕方なかった。
今では普通の、ティッシュ5個パック、トイレットペーパー12ロールは山田さんのアイデアで、これで売り上げが劇的に伸びた。
また、薬品と化粧品売場を融合したへルス&ビューティー部門の責任者を務めた時は、斬新なアイデアが、ビジネス誌でも特集された。
「東京や九州の企業との合併、アメリカ型大型店舗の出店と、常にダイエー拡大路線の最前線にいました。『よい品をどんどん安く、より豊かな社会』を目指し、24時間年中無休の精神で世界中を飛び回りました」
だが11年に及ぶ単身赴任で家族とは疎遠に。父親の死に目にも会えなかった。
「常に走っていないと不安だったのかもしれません。振り返る余裕などなかった」
やがて一時代を築いたダイエーも凋落が始まった。平成16年、突然「新たな一律の定年を設ける」という社内通達が突きつけられる。役職者は一従業員として残るか、去るかの選択を迫られた。事実上のリストラである。
「会社のために体を壊すほど頑張ってきた。家庭も犠牲にし、休日返上で働いた。なんでおれが?」と思った。
これまでの人脈で再就職先に心配はないものの、永年勤めた会社に捨てられたむなしさは胸にこたえた。だれかにこの気持ちを分かってほしかった。
ゴルフ、テニス、麻雀、詩吟で第2の人生に心を切り替えようとした矢先である。友人から「氷見(※)の寿司」を食べようと富山へ誘われ、ついていった先が2000畳。平成18年の報恩講である。
「初めて聞く仏法にビックリでした。人生の苦しみの海で、金や財産、仕事など、海面に浮かぶ丸太に、すがっては裏切られる。難度海の話はまさに自分の姿だったからです」
振り返れば、仕事で他人に差をつける、それしか頭になかった。「言うなれば速度計だけで羅針盤のない船みたいなものです。方角が分からなければ結局は無駄、それがしみじみ分かったんです」
為替取引がサブプライム問題で暴落し、大損。足の捻挫でゴルフもテニスもできなくなった。でも本人は至って陽気だ。「趣味の多い私のために、仏法1つに仕向けてくだされた無上仏のご方便と思うんです」と、毎月親鸞会館のご法話の参詣は欠かさない。
「働きバチ」で、定年後を夢みていた同僚が、最近次々と亡くなっていく。訃報を聞くたび、ジッとしていられなくなる。
「団塊世代が大量に退職していますが、第2の人生で皆何かをやりたいと思っています。でも田舎暮らしや世界旅行、陶器作りぐらいしか思いつかない。そんな人たちに問いかけたい。人生、もっと大事なことがあるんじゃないの?と。それは親鸞聖人のみ教えですよ! 私は団塊の先陣を切ってそう伝えたいんです」
※氷見……富山湾に面した漁業で有名な町。冬に取れる寒ブリは
全国的に知られている。
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